プロフィール

エルフのリベルの紹介です。アイコンはとんでもなく可愛いアイコンをジェミニさんに書いて頂きましたが、実際はアラ古希のおばあちゃんです。アイコンは願望をジェミニさんに描いて頂きました。AI最高!ジェミニさん最高💛

人生で今が一番楽しいです、大好きな音楽を作りTuneCore Japanから30曲リリースして頂き、分からないながらもblogを書き、YouTubeにX(旧Twitter)も始めようとしている今のこの状況は、心から生きていて良かったぁ~何度も何度も大変だったけど、夫婦で楽しみながらブレイクスルーできて本当に良かったぁ~と心から思っていることを感謝を込めて、今現在大変な方々に伝えたいです、頑張って努力していればきっと報われる、楽しいことが嬉しいことが待っているから、もう少し頑張ろう・・・お互いに頑張ろう( ^ω^)・・・

エルフのリベルの経歴(全ては書けませんのでサクッと)

私は沖縄県勝連村出身ですが、小学校に入る前(60年以上前)に本土へ転居していますので沖縄のことはあまり覚えていません。

21歳の時、私を産まれてすぐから7歳まで育てて下さったおばあ(血縁関係が無い)の介護のために勝連村に帰った時には、大勢の警察官の方々がおみえになり、皆さん口々に「貴女のお父様には警察学校で物理と科学と測量を教えて頂き大変お世話になりました。」と言われて良くして頂きました。

母は幼稚園の先生だったそうで、皆大好きだったと言っていました、そして、ピアノが大変上手だったそうです。田舎では名家の出身で小学校にも無いグランドピアノがあったそうです、しかし私を産み落とした直後に他界しました(死因は妊娠中毒症(妊娠腎)と上原病院の先生に話して頂きました)。母の写真等は、父の後妻に全て焼かれてしまいましたので母のお顔を知りません。おっとりとして可愛い人だったと祖母や皆が言っていました、そして良く寝る人で椅子に座ったままでよく寝ていたそうです。家事は一切できませんでしたが3人のお手伝いさんが居たので不自由はなかったそうです。私のせいで母が亡くなったので私は皆から疎(うと)まれていました。親戚の方々から可哀想なことをして申し訳なかったと成人してから言われました。本来なら何不自由ない暮らしができたのにと。それも私の運命です、命がけで私を産んで下さった母のためにも生き抜きます。

エルフのリベルは、兄の子供2人(さとみちゃんとみゆきちゃん)を3歳まで育てました。そして、姉の子供(愛子ちゃん)を乳飲み子(生まれてすぐ)から3歳まで育てました。ネグレクトだったのです。

自分の子供も女の子でしたが、兵庫県西宮市甲子園に住んでいた時にお腹の中で亡くしました。

エルフのリベルの夫は大変心優しい頑張り屋さんです、ここではエルフのパテルと言います。

プロフィール画像エルフのパテル

エルフのパテルも実際には古希のおじいさんですが、ジェミニさんにとんでもなく可愛いアイコンを作って頂きました。見ているだけでワクワクします。

詳しいことはTuneCore JapanのThe endと思われてからの凄さ(シティーポップ) の楽曲を作った時のエピソードに書いてあります。下の画像から読むことができます。

エルフのリベルの職歴

職歴は、エルフのパテルの奥さんでエルフのパテルの手足になって働きました。

夫は若い頃に両足首複雑骨折をして、3度の手術を乗り越えてきましたが会社(現場)に行くのに私のサポートが必要でしたので送り向かいを軽自動車で行っていました。その合間に家事・派遣会社・(有)百真技研 の登録上は、社長をしていました(夫の仕事が無くなってもすぐに仕事ができるように用意をしていました)実は現在でも社長だそうです、来年の3月に夫が仕事を完全にリタイヤしたら変わります。一時は従業員も沢山いる会社に成長していましたが、リーマンショックの後休業しました。

私は企業した当時(当初)はいろんなソフトを覚えるのが早くて現場でも重宝されました、沢山のCADソフト・フラッシュやフィモーラを使った仕事もしていました。森総理の時代には、商工会から依頼されて個人企業の社長さんの奥さんや従業員の方々にWordとExcelの使い方を教えるインストラクターもしたことがございます。ホームページビルダーの使い方もすぐに覚えて社長の奥さんたちに教えていましたが、教え方が悪くて中々上手くいかず、結局自分で作成することになり自分の会社の仕事がおろそかになるので、ホームページビルダーやSNSや人付き合いから距離を置くようになりました。

ホームページを作ったり人とのお付き合いは大変(とても)楽しかったのですが身を滅ぼすと思いました、時間の使い方が今一上手では無かったようなので近づかないようにしました。

テレビやラジオやSNSもその延長で近づかないようにしていました。でも今は違いますよ。

毎朝5時前に起きてお弁当を作って夫の送り向かいと家事とパソコンに向かう仕事をこなしていました。

東京都内の大学病院などの図面の仕事、大手派遣会社の時はKDDIの新宿の本社ビル31階で入力の仕事をさせて頂いたこともあります。筑波の産総研でも図面を書いていました。

お仕事は全て好きでしたし、同僚も好きでしたが、夫のパテルが誰よりも大好きでした。

横紋筋融解症になり仕事を辞める(家事に専念)

小さい時から「気は優しくて力持ち」と言われるほど働きものでした。

父が年を取ってから生まれた私は、小学校の低学年の頃に父が学校へ来ると「おじいちゃん来たよ!」と言われて、父も身体が弱くてあまり働けないので代わりに新聞配達やお米の配達などをしていました。

(めっちゃ飛びます^^半世紀ほど飛びますね^^♪)

中年になり少し小太りになり健康診断をすると血圧が高いとかコレステロールが高いなどと言われて処方されるようになり、副作用として横紋筋融解症になり、手足の筋肉や心臓の横紋筋も溶けて一時は余命いくばくも無いと言われるほどになりました。

本当に辛かったです、2020年の2月頃まで医師から「いつ止まっても不思議ではない心臓」と言われていましたので、丁度その頃 新型コロナで病院の看護師さん達が疲弊していると伺いそれ以来病院には行っていません。そしたら『何と言うことでしょう^^♪ 元気になりました^^♪

東京医科大学の赫先生

赫 寛雄(てらし ひろお)先生のおっしゃる通りでした。

1993年東京医科大学卒業後、東京医科大学内科学第三講座に入局。国立神経センター国府台病院神経内科、秋田県立脳血管研究センター脳卒中診療部を経て現職。東京薬科大学客員教授。

私は5日間軽い脳梗塞で東京医科大学に入院したことがございます。

その時に赫先生は、血圧の薬もコレステロールを下げる薬も飲まない方が良い、緑内障の目薬だけさすと良いと言われていましたが、健康診断に行くとどうしても血圧の薬とコレステロールを下げる薬を処方されてしまうので、止めたいと言うと「死ぬよ」と言われるので飲んでいましたが、2020年から4年半死んでいませんし、少しずつ元気になり昨年の11月と今年の3月には沖縄にも行けました。

やはり赫先生は名医です、先生のゆう通りにしていたら「横紋筋融解症」にもならずに済んだと思います。薬は人を助けることもありますが、下げるために他に悪さすることもありますので注意しましょう。

もし処方された薬で悩んでいらっしゃる方がいたら参考にして下さい。

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